「考え」
北日本新聞への掲載寄稿です。
北陸新幹線高岡駅問題は決着したが、万葉線はどうなるのだろうか。
私は、現在の軌道敷地を残しながら、電気シャトルバスを走らせたらよいと思う。
つまり、固定費を下げるために軌道自体は撤去するが、敷地はそのまま残し、バス
専用レーンにする。そして環境負荷の小さい電気シャトルバスを運行するという案
である。すれ違いは、現万葉線がすれ違いに使っている場所をそのまま使えばよい。
これなら、バス転換で一番危惧される定時性も確保できる。利用者も安心である。
存続を求めるグループも、鉄路がなくなるのは耐えられない気持ちだろうが、環境
対応型の新しいまちづくりとしていっしょに取り組めないだろうか。収益性からバ
ス転換を主張する加越能鉄道も参加できない案ではなかろう。
万葉線を現状のまま永続的に存続させるのは困難だと思う。仮に高岡新湊両市営の
公営鉄道として存続したとしても、いずれ数年後、存廃を検討する必要が出てくる
だろう。そうなる前に、単なる移動手段としてでなく、市民が誇れるまちづくりと
いう視点も大切にしながら、新しい交通体系を検討してみたらどうだろうか。
「自治会長はなぜ男性独占」という女性の意見。そして、それに対する男性の激励を込めた意見を拝見した。
若者といえるギリギリの年齢ではあるが、若者の立場からひとこと言いたい。
「自治会は市町村を支える基盤」と男性の方が指摘されていたが、若者や女性たちは、指摘の背景にある男性型社会に失望しているのではないだろうか。
市町村を支える基盤は、厳密なことを言えば、議会などの行政であり、住民各個々人である。自治会は住民と行政の間の任意組織にすぎない。それなのに幅を効かせている。個人の存在をなんとなく吸収してしまうクッションのような役割を担っており、自分の意見をはっきり言うことに慣れた若者たちには面倒な存在である。窮屈に感じるのも無理はないと思う。
自治会をはじめとするコミュニティーの大切さは若者も認識していると思う。ただ、上意下達や非強制金の集金など、自治会が旧態依然とした社会システムの維持のための組織なら、だんだん参加者が減り、機能しなくなるだろう。
若者や女性は、「対等」な立場で参加できる未来志向のコミュニティーを望んでいると思う。