「考え」
北日本新聞への掲載寄稿です。
富山市が建設している国際会議場の名称が「大手町フォーラム」に決まりそうだ。しかしこれは、公募された中から選ばれたものではなく、選考会議が自ら決定したものだ。400件以上の公募があったのに、その中にはよい名称がなかったという。
私は、失礼な話だと思う。
公募の方法が悪かったのか、公募した人のセンスが悪かったのかはわからない。しかし、一度は市民に任せたのだから、たとえよい名称がなかったとしても、それはそれで我慢するしかなかったのではないだろうか。公募の精神が台無しである。
「協働」という言葉が注目されている。つまり、行政と市民がいっしょになって作り上げるということである。協働のためには、市民が富山市のファンになることが第一歩かなぁと私は思う。
公募自体は、ファン層拡大のいいチャンスだと思う。でも、今回のような失礼なことをしていたらしらけてしまう。ファンになるどころか、市民の気持ちが行政から離れていくのではないかと心配になる。
ささいなことかもしれないが、名称は施設の顔。市民不在の行政の象徴、と次代にまで揶揄(やゆ)されるかもしれない。富山市の将来にしこりを残さないためにも再考した方がいいと思う。
サマータイムとは、夏場だけ時間を1時間早め、省エネしようという制度である。ほとんどの先進国で実施されていることから、日本でも導入の議論がなされている。
サマータイムが実施されれば、私はいつもより1時間早く寝ると思う。その分照明に要するエネルギーが節約できることになる。
このように考えると、いいことばかりのようだが、私には気になることがある。
それは、高齢社会でも大丈夫かということだ。
サマータイムの始めと終わりには、時計を調整する必要がある。高齢者世帯では、自分の力だけでは調整できないケースが多発すると思う。60歳代前半の元気な私の父でさえそうだ。我が家には家電製品のタイマーを含めると10個以上の時計があるが、私が調整できるからまだいい。でも、時計を1つも合わせれないまま過ごす高齢者もいるのではないかと危惧する。さまざまな時間の行き違いが出てくるようで心配だ。
富山は高齢化が全国平均より急速に進む。他人事ではない。サマータイムのメリットは十分理解できるが、高齢者へのしわよせをしっかり考慮した上で議論を進めてほしい。
富山広域圏のゴミは、立山町の富山クリーンセンターで処理している。地元立山町では、生ゴミ堆肥化でゴミ減量を模索している。すばらしい事業だと思う。しかし、立山町にお願いしている立場の周辺市町村はどうだろうか。富山市をはじめとして、減量化に向けた具体的な動きがない。これでは、地元住民に不信感が募るのももっともだと思う。
私は、生ゴミ堆肥化によりゴミ減量化日本一を目指したらどうかと思う。回収システムが難しいとすれば、せめて家庭内での堆肥化をフルサポートしてほしい。
私自身は、維持費の関係からコンポストを使用しているが、セカンドベストとして、最近普及している生ゴミ処理機への補助を拡充すべきだと思う。
現在、高岡市の最高2万5000円を筆頭に、各市町村で生ゴミ処理機に対する補助が実施されているが、補助のない自治体や数千円程度の補助にとどまっている自治体もある。また、補助が財政の負担になっているという声もある。
しかし、私は、2万5000円でも安いもんだと思う。
ゴミ処理には、年間1人約2万円かかる。4人家族なら数カ月で補助額に達する。つまり、行政にとっては、数カ月で元がとれることになる。また、生ゴミ減少で、焼却炉が安定燃焼するから、ダイオキシンの発生も防げる。
毎年、赤い羽根の共同募金に協力している。しかし、赤い羽根自体にはいつも困ってしまう。針は危ないし、私の場合はいつも不燃物ゴミに直行である。
私に限らず、赤い羽根をもらって嬉しい人はいないのではないだろうか。
街中でも、つけている人はあまり見かけないし、つけているのは行政の幹部くらいである。
一方で、赤い羽根をつくるためには、費用もかかっている。募金額の1%程度が製造費用である。1%と少ない割合ではあるが、富山県全体では200万円程度にもなる。この分を配分に回せばどれだけ喜ばれることか。
赤い羽根をもらえるから募金するという人はまずいない。助けあいという気持ちから募金するのである。赤い羽根という名称は残しつつ、赤い羽根自体の配布は止めたらどうだろうか。また、他県でも行われているような、封筒募金や使途選択募金という制度が富山にも必要だと思う。
10月8日から食祭とやま'98が開催される。
観光客に喜ばれるのは、花・食・温泉・歴史などといわれる。富山の食材は豊かであり、今回のイベントで、どんな「食の知」が創造されるのか楽しみだ。
私は、「食の知」とともに、「知の職」も残るようなイベントになってほしいと思う。
食祭とやま'98は、東京の大手広告代理店が請け負っている。他のイベントでもそうだが、なぜ、地元の会社に発注しないのだろうか。
総合力という意味では大手の方がいいのかもしれないが、大手であるがゆえに、金太郎飴的になってしまうという面もある。個性的な富山の「食」を目指すのなら、地元富山の「職(会社)」を育てるという発想も必要だと思う。
都会の学校に進学した娘が戻ってこないという声をよく聞く。富山の有効求人倍率は全国平均以上であるが、ライン業務の職種が多く、女性が働きたいと思う感性産業やサービス産業の職種が少ないからである。
女性が働きたいと思う会社が育つだけでも、そのイベントに価値があると思う。
イベントの一過性が課題になっている。
地元富山に、感性産業などの「知の職」が育つようなイベントになってほしい。
保育料の値上げが話題になっている。
保育における利用者負担の割合は、現在5割程度である。
行政サービスに利用者負担が必要だということには異論はない。しかし、5割という負担レベルには疑問を感じる面もある。
図書館には利用者負担がない。また、博物館や植物園、野球場などの利用者負担は、2割を切っている。つまり、8割以上は公費でまかなわれていることになる。しかも、利用している人と利用していない人がはっきりしている。
一方、保育所や幼稚園は、子を持つほとんどの親が利用している。ならば、こういう行政サービスこそ、公共性という観点から、利用者負担を減らす努力をすべきではないだろうか。
博物館などの学術的・公共的な役割も十分理解できる。郷土資料は富山の宝ものであり、ある程度公費を負担しても、後世に伝えていくことが必要だ。
でも、今の富山の一番の宝ものは、子供ではないか。
保育所の利用者負担を5割から2割に下げるとすると、年間100億円くらいの財源が必要となり容易ではない。100億円は無理としても、他の事業を縮小するなど、"とことん子供や女性にやさしい富山県"を目指すという選択肢もあるのではないだろうか。
フィルムトレイの使用が増えてきているように思う。
フィルムトレイとは、表面がつべつべのトレイで、刺身用などに使用されている。表面にフィルムが印刷されていて、リサイクルしにくいトレイである。
最近は、スーパーにもトレイ回収箱が設けられるようになり、私たちもリサイクルに協力しやすくなった。しかし、これだけフィルムトレイが増えてくると、しかたなくゴミに回すしか手がなくなる。フィルムトレイを使用していないスーパーを探しているのだが、見つからない。
冷却剤も同様である。氷のものはまだいいが、ゼリー状の冷却剤はどのようにしたらいいかわからない。処分に困っている。読者のみなさんで、私が満足できるようなスーパーがあったら、是非教えてください。
フィルムトレイは、1枚15円程度のコストがかかる。通常のトレイよりも10円程度高いから、もし、380円の刺身なら、同じ中身を370円で買えることになる。
昔に戻ろうと、トレイ自体を全廃するのは難しい。でも、10円もの余計なコストをかけて、しかも、リサイクルしにくいトレイを使う必要があるのだろうか。
富山地区広域圏のゴミ処理方式が、従来型を踏襲した「直接燃焼方式」になりそうだ。
私は、別に検討された「ガス化溶融方式」の方がよいと思う。
従来型の「直接燃焼方式」では、0.1という基準値をクリアできる保証がない。
「ガス化溶融方式」は、ダイオキシンなどの有害物質を、「直接燃焼方式」の100分の一まで減らすことができるという。厚生省もガス化溶融方式を後押ししている。
「ガス化溶融方式」は、日本ではまだ設置例が少なく、事なかれ主義の行政は嫌うのかもしれない。コストも多少高くなるのかもしれない。
しかし、県民は多少コスト高だとしても、より環境にやさしい処理方式を望んでいるのではないだろうか。私たちの税金は、ゴミ処理みたいな分野に使ってこそ価値がある。
南砺クリーンセンターは、RDFで注目され、住民の共感も得ることができた。
富山クリーンセンターは、県内で一番大きいゴミ処理施設であり、他のクリーンセンターの模範となってほしい。住民が共感できる「誇れる施設」になってほしい。誇れる施設なら、私たち県民も納得して税金を納めることができる。
誇れる施設かどうかという視点で、もう一度議論してもらいたい。
本紙「ゴミゼロへ」の記事を読みながら、ダイオキシン問題の深刻さを身近に感じるようになった。
特集記事によれば、ダイオキシンの摂取源は、大気や水からの摂取はほとんどなく、98%以上が食物からだという。その中でも、約60%が魚類からである。
では、富山湾産の魚は大丈夫なのだろうか。
とやまの魚に選定されているブリ、ホタルイカ、白エビはどれもおいしい。しかも、私たち富山県人は、富山湾の魚に「誇り」のようなものを持っている。少しくらい高くても、地元産ということでひいきにし、買い求め食してきた。東京の知人への贈り物としても、重宝する。
私は、地元産という「誇り」をずっと持っていたい。しかし、ダイオキシンやビスフェノールAなどの環境ホルモン問題から、確信が持てなくなってきた。昨年の環境庁検査では、富山湾の魚は検査対象にならなかった。
県内の各自治体も、大気や土壌など、ダイオキシン検査へと動いている。しかし、富山湾の魚を検査するという動きはない。早く検査して安心して食したいものだ。ダイオキシンの検査には、1回百万円弱の費用がかかるから、何でもかんでも検査できるわけではない。ならば、私たちの健康に一番影響があると思われる、富山湾の魚のダイオキシン濃度を優先的に検査すべきではないだろうか。
高岡市が、毎週水曜日を「ノーカーデー」とし、万葉線を側面から支援している。しかし、どうも形式的という印象を受ける。水曜日だけをノーカーデーとしても、定期を持っているわけではないので、乗ろうという誘因に乏しい。
私は、職員駐車場の使用料金を上げるべきだと思う。使用料金は現在、月数百円である。これでは、万葉線沿線に住んでいる職員も、ついつい自家用車に頼ってしまう。
万葉線で通勤することを強制してはいけないが、少なくとも、職員駐車場の使用料金を民間ベースに近づけて、市場原理がはたらくようにすべきではないだろうか。
富山市には、職員用の駐車場はない。自家用車で通勤する場合は、自分で民間の駐車場を借りなければならない。月最低1万円はかかる。富山県庁の場合、無料の職員駐車場はあるが、庁舎から少し離れているし、使用条件が厳しい。
高岡市の場合は、庁舎に隣接して駐車場があるし、使用条件も緩やかである。
高岡市は今年度予算に、2030万円の万葉線補助金を計上している。もちろん、私たちの税金からの支出である。駐車場利用職員を500人、使用料金を月5000円とすれば、差引年間約2500万円という計算になる。赤字を公務員にのみ押しつける気持ちはないが、利用増のためにこれくらいはしてほしい。
環境問題からも、路面電車が見直されている。万葉線が高岡の宝物になる日がきっと来るに違いない。愛着のある万葉線、知恵を出し合ってみんなで支えていきたい。
県では今年度から、農業出先機関や試験研究所、病院、老人ホームなどのエージェンシー(公社や第三セクター)化を検討するという。意欲的な施策であり注目したい。
しかし、気になることが2点ある。
1つは、エージェンシー化すれば、県の情報公開条例の対象外となることである。
昨年の県の不祥事は、情報公開制度から判明した。職員を派遣したり補助金を交付するのなら、まず、公社や第三セクターを情報公開の対象にする必要があるのではないだろうか。もし、公開の対象にするのが難しいのなら、中途半端なエージェンシーではなく、完全な民間にすべきだと思う。
もう1つは、プロパーを採用するという点である。
現在でも、外郭団体などのプロパーは、公務員試験のような採用試験を受けずに採用されている。県職員周辺の子息子女に声がかかるケースも多い。外郭団体なら、給与が多少低くても働きたいという人は多いだろう。ハローワーク窓口や県広報で求人を公平に募り、採用試験などでより客観的に選抜する必要があるのではないだろうか。
エージェンシー化することのマイナス面は、行政の隠れ蓑や不祥事の温床になる可能性があるということである。エージェンシー化のプラス面が打ち消されないためにも、透明性を高めた上で実施してもらいたい。
本紙元日の1面は、毎年スクープ的な記事が掲載され、いつも注目して読んでいる。
今年は、富山市中央通りの市営住宅をキーテナントとした複合型ビル建設計画についての記事であった。1階と2階は店舗、3階は駐車場、4階から9階を「核家族世帯」中心の市営住宅にあて、定住を促すという。欧米都市の例からも、都市中心部に住宅を建設することには賛成である。入居の募集が始まれば、かなりの倍率となり、人気を博するだろう。街にも活気が生まれるだろう。
しかし、なぜ核家族世帯を入居対象としているのだろうか。
中心商店街に入居できるような恵まれた核家族世帯を、行政がわざわざ支援する必要はないような気がする。行政が本来支援しなければならないのは、高齢者などの生活弱者だと思う。入居対象を、核家族世帯ではなく生活弱者とすることを提案したい。中心部だから、交通手段がなくても自力で買物に行ける。緊急連絡装置なども完備したらどうだろう。
税金を投入して、しかも核家族世帯を入居対象とすれば、人気が出るのは当然である。人口増加も期待できるであろう。しかし、人口増加や定着(税収確保)は行政サービスの最終目標ではないはずだ。核家族世帯は行政側にとっては何かと魅力的な層であるが、市町村の間で奪い合いをしてもはじまらない。人口増加という安易な発想ではなく、公共的な役割、困った人を支援するという行政本来の原点を見つめて計画を策定してほしい。
12月下旬、所用で県庁へ出掛けた。数カ所へ行った。しかし、どこも、暑い暑い。25度は超えている。30度近いと感じる課もあった。暑いと作業効率も落ちる。費用もかかる。地球環境にも悪い。こんなことでいいのだろうか。
今年10月に行われたアンケートでは、県の管財課が、暖房温度19度・冷房温度28度を、ほぼ取り決め通り実施していると回答している。通産省の指導を守っているということだろう。しかし、現実とはあまりにもかけ離れている。
県庁の人を個人的に責めるつもりは全くないが、平気で嘘のアンケートを書いていることが腹立たしい。アンケートに答えるのが行政本来の仕事ではなく、適当に答えたのかもしれない。しかし、重要な書類も、このようないい加減な処理をしているのかと疑いたくなる。もうこれは、個人の問題ではなく組織の問題である。組織自体に制度疲労が起きているのではないだろうか。
地球温暖化防止京都会議で、日本は二酸化炭素の排出量を6%削減しなければならない。この目標の達成のためには、企業の努力とともに、個人のライフスタイルを変化させていくことが求められると思う。県庁が「ぬくぬく暖房」のまま、県民に暖房温度を下げることを啓発するつもりだろうか。過去のことはまあいいとして、今後どうするのかをはっきり宣言して実行しなければ、県民の理解を得ることは難しいだろう。
12月6日に安房トンネルの供用が開始された。30分以上かかっていた峠越えが5分に短縮される。私は、これまで何となく大変な場所というイメージで敬遠していたが、機会があれば、安房トンネルを通って白骨温泉へ行ってみたい。
さて、開通式典のメイン行事は、テープカットである。建設大臣、運輸大臣、富山県知事、岐阜県知事、長野県知事などがテープカットをしたという。
でも、なぜ、大臣や知事がテープカットをするのだろうか。現場監督として苦労した人、トンネルを実際に掘った人、これから頻繁に利用するであろう観光バスの運転手やマイカー利用者などでテープカットすべきではないか。
安房トンネルは、尊い命の犠牲や多くの苦労の積み重ねで完成した。そして今後は、利用者あってのトンネルである。誰が「主役」なのかをわきまえないテープカットは滑稽である。大臣や知事は大変なご苦労をされているのだろうが、あくまでも「わき役」ではないか。テープカットをしたからといって、票に結びつくご時世でもないと思うが...
先日、「日本再建」というNHK番組の中で、郵政3事業の民営化について活発な討論がなされていた。私は議論の争点である山間僻地に住んでいる。私の経験からは、山間部においても、民営化によるサービス向上が期待できるような気がする。
私の家は新聞配達が行われない地域であり、朝刊は午後3時ごろ、バイクに乗った郵便局員の方が配達(第3種郵便)される。冬場は、除雪時間が遅く車両の通行が難しいため、地元委託者の方が歩いて配達業務をされている。このような事情から、重い荷物などは自分で取りに行くこともある。ヤマト運輸の方は、冬場でも基本的に集配してもらえる。顔見知りという"人のつながり"はないが、頼もしい存在である。貯金にしても、北陸銀行の方が親切に家まで営業に来られる。
NHKの討論における国営維持派の主張は、僻地の郵便局がなくなり生活弱者が困るという危惧に集約されると思う。しかし、山間地に住む生活弱者が今一番求めているのは、厚生省関連の福祉の充実であり、郵便局が身近にあることによる恩恵は軽微である。国営から民営に移行することで生活弱者が本当に困るケースが考えられるのなら、ホームヘルプサービスなどで対応することも可能であろう。
郵便局の方は、他の公務職員より対応が良く、改善すべき"本丸"は別にあるのかもしれない。しかし、身近な笑顔の裏で、私たちの貯金が奨励金支給により実質目減りしていたり、特殊法人などでルーズに運用されていることを忘れてはいけないと思う。