富山の小さな自然学校の試み 〜過疎を楽しむ大人たち〜
あそあそ自然学校代表
谷口新一
■浅生(あそう)というところ
私は、富山県中新川郡上市町浅生(あそう)というところに住んでいる。営利農業の実践者ではないが、廃村間近の小さなムラ集落に住む当事者である。 浅生は標高300メートル。鎌倉時代に土肥家が切り開いたとされる中山間地である。世帯数は8世帯。富山駅から車で45分とそんなに山ではないが、水道はない。みんな湧水をブロック塀やドラム缶に溜めて、ホースで引っ張って飲料用にしている。溜める量には限りがあるため、お風呂などに一気に使うと水切れになったりする。今どれくらい溜まっているか頭の中で想像しながら、湧水という自然の恵みと直結しながら生活している。新聞は配達されない。第三種郵便として配達されるので、朝刊が届くのは郵便屋さん次第。通常午後3時頃届く。日曜日は配達がないので、月曜日に2日分まとめて届く。携帯電話も各社通じない。友人によく、なぜ、そんな(不便な)ところに暮らしているのか、と聞かれる。自分の先祖が代々住んできた場所であり生まれ育った場所だからというのが一番の理由だが、理屈っぽく言えば、超のんびりできるとっておきの田舎だからだ。富山には因習的なことも多いが、それは中途半端な田舎。浅生くらいに超田舎は雑音やしがらみもなく、超快適。
■浅生(あそう)の過去と野猿
私が小学1年生だった昭和46年頃の記憶では、世帯数は30を超えていた。しかも、そのころは小学生も10人程度おり、アケビを採ったり、道草ばかりしていた登下校の楽しい思い出がある。現在若い家族といえば私の世帯だけであり、他の世帯は高齢者の独り暮らしか夫婦で暮らしているというような状況である。昭和40年頃をピークに、浅生地区から離村と田んぼの放棄が始まった。そしてついに2年前から、我が家のみがほそぼそと飯米(自家用の米)を作る程度になってしまった。耕作する担い手がいないことが直接的な要因であるが、野猿の影響も大きい。野猿は、だいこん、きゅうり、かぼちゃ、なすび、スイカ…を食い荒らす。今のところ被害を受けないのはさといもくらいである。農家にとって、お天道様や自分の努力不足で収穫量が減るのは納得できるが、収穫間近の野菜を食い荒らされてはたまったものではない。野猿の食害が農家のモチベーションを低下させたことも一因である。
■ 浅生(あそう)のあそあそ自然学校
さて、浅生は確実に廃村の方向にあると思うが、鎌倉時代から現在までの時間軸の中で蓄積してきた文化はすごいものがあると思っている。「魂」というようなもの。猿の食害もあり、農業の場としての価値を浅生で見いだすことは難しい。しかし、まちづくりの基本である地域資源。住んでいると見失いがちな地域資源を何より私自身が見つめ直したいと3年前にスタートしたのが『あそあそ自然学校』である。よく質問されるのであらかじめ断っておくが、あそあそ自然学校はビジネス的事業としてはまったくなりたっていない。あくまでも浅生に住む自分や高齢者が都市部の子どもたちと交流し、楽しむ、学ぶ、浅生を再発見するということを基本としている。他人のためではない。自分たちのための自然学校である。私には3歳と2歳と0歳の子どもがいるが、私の子どもの遊び相手は近所にはいない。だから自然学校のある日は楽しみでならないようだ。自分も子どもが好きだし、近所の高齢者も子どもがいると昔を思い出して元気になる。子どもたちのために畑に花を植えてみたり、昔遊びの道具を一緒に作ってみたり。
■なぜ、あそあそ自然学校?
あそあそ自然学校のキーコンセプトは、「農生活空間を遊びと学びの場とする環境教育」である。本格的な農業を再生することは無理としても、農生活空間という「文化の場そのもの」を活用することを考えた。
子どもには自然が一番である。自然(の摂理)は「嘘」がない。嘘がない自然に触れたり見つめることで、「考える力」を涵養することができる。今、教育界では「生きる力」ということが注目されているが、付加価値のある日本のためには「考える力」がより重要だ。生きる力に加え、考える力という前向きな力をも一緒に身につけることができるのが、自然である。
あそあそ自然学校では、農生活空間の中で、食のために汗して自分の役割を少しでも果たすということを目標にしている。浅生では、昔から生活の一部として自家用しいたけの榾木(ほたぎ)の植菌を行ってきた。その作業自体も自然学校のプログラムである。私が作業する姿を見て、やりたければやる。やりたくなければ、そこいらのもので遊んでいる。大人には食のためにやらねばならぬ農作業がある。その農作業を少しでも手伝ったという体験。その体験が子どもの自信につながる。自分の存在を確認できる。今の時代、自分の存在を見失いがちである。子どもたちには、自分は家庭の中で、そして社会の中で役にたつという実感が必要だ。その実感を得る場として、農生活空間は最適な場である。
■ あそあそ自然学校のプログラム
(あそあそ探検)
とにかく浅生を歩く。歩くと蛙がいたり、トンボがいたり。畦道の感触、風の匂い、小鳥のさえずり。当たり前のことだがそれが楽しい。私はいつも歩きながら、何でもない道端の葉っぱを使って音を鳴らす。筒状にした手から中にちょっと押し込み空間を作って、もう一方の手で叩く。ポンというよりカーンという爽快な音。もうこれだけで子どもたちは夢中。どうすれば鳴るのか、どんな葉っぱが鳴りやすいか、など自分なりに工夫するようになる。葉を広げたぜんまいを使った飛行機。これもなかなかの人気。
子どもたちにはあんまり関心がないようだが、私がいつも説明することがある。それは、放棄された田んぼのこと。放棄された田んぼは荒れ放題。だけど、平らが確保できる、日光が当たる、水が調達できる、この3条件が満たせる場所はみんな田んぼだったがやぜ〜と。自己満足かもしれないが、私なりにこの土地の先祖のみなさまへの畏敬の念をあそあそ探検で再確認している。
(あそあそ炭焼き)
あそあそ自然学校には、自力再生した簡易な炭焼き小屋がある。この炭焼き小屋も特に自然学校のために作ったのではなく、家の周りの杉の枝打ちや間伐材をそのまま燃やしたり放置するのがもったいないから、炭にして煮物や冬期の暖房に使おうというものである。あそあそ自然学校では子どもたちにこの炭焼きを体験してもらったり、焼き芋を焼いたりしている。とにかく炎は人間に安らぎを与える。焼きたての芋は胃袋を満たす。炎は精神を満たす。
(あそあそミニ水力発電)
浅生の自慢は豊富な水。水温はどこも11度〜12度。ビールが一番おいしい温度であるが、それはさておき、浅生は簡単に落差がとれる地形である。今年からアメリカのハリス社製のミニ水力発電機を自力で組み立てて稼働させている。落差30メートル、毎秒2リットルで最大600W程度の発電をしている。投資額は50万円を超え、経済的にペイするわけではないが、水という地域資源への好奇心から制作した。子どもたちはあまり興味がないようだが、男親たちは興味津々。男のロマンを感じてもらえているのかもしれない。
(あそあそ木登り)
実はこの木登りが一番注目されている。「与作」という器具を使い、杉の木を尺取り虫のように登り枝打ち体験をしている。単なる遊びではなく、能率は悪くてもあくまでも仕事のつもり。働かざるもの食うべからず。農家においては、6歳は6歳なりの、12歳は12歳なりの仕事が与えられ、それをこなす農家の一員であった。そういう役割感を少しでも持ってもらうことで、自分の存在を肯定した時間になればとの思いがある。杉地のとなりに栗畑もある。こちらの方は枝振りが子どもたちにはちょうどよく、てっぺんの方まで自力で登ることができる。
学校校庭の木は、通常木登りが禁止されている。公園の木も、他人の目を気にして登ることはない。その点浅生では、他人の目を気にすることなく自由に登れる。登ると視界が変わる。いつもと違う視界は、心の視界も広がる。木登りは危険と隣り合わせであるからか、木に登ることで不思議と新しい自分に会うことができる。他者の中の相対的な自分ではなく、自分そのものを見つめる機会になる。
(あそあそコマづくり)
子どもたち自身が枝打ちや間伐した木を使い、自然の形を利用した手づくりコマを作っている。身近なものを使って遊ぶのがコンセプト。作り方はいたって簡単。(1)ノコギリを使い輪切りにする。(2)手ドリルで中心に穴をあける。(3)心棒を枝の先端部から調達、ナイフで加工。(4)穴に押し込む。(5)回してみる。単純だが、子どもも大人もハマル。自分でノコギリを使うこと。自分で穴をあけること。自分でナイフで削ること。自分でやることの達成感や安心感を実感できる。また、コマ自体もちょっとしたことで回ったり回らなかったり。単純だが奥が深い。
■ あそあそ自然学校の仲間たち
富山は自然が豊かな場所である。富山湾あり、立山連峰あり、と県内どこからも海、山へのアクセスが充実している。しかし、子どもの自然体験率が首都圏より富山県の方が低いというデータが出た。自然体験のソフト面が弱いのが原因と思われる。
そこで今年度、富山県内で活動する別の6民間自然学校にも声をかけて、富山県の元気に富山推進事業の助成を受けて、県内7カ所持ち回りの「とやま民間自然学校土曜リレースクール」を実施することにした。これは、学校週5日制に対応するとともに、各民間自然学校の企画力やマネジメント力、広報力といういわゆるNPO力を高めることを目標としている。
富山県朝日町の夢創塾(代表:長崎喜一さん)は、炭焼きや紙漉きなど、地域循環型をめざしている大人の遊び場。地元南保小学校が総合学習に利用している。富山県大沢野町の土遊野(代表:橋本順子さん)は、中山間地で無農薬米や平飼い卵の産直販売をしている。橋本夫妻は、草刈り十字軍が縁で富山に来て、廃村間近の大沢野町土(ど)で20年前から営農。土遊野では、ファームステイの若者を現在2名受け入れている。地域農業を次世代に受け継ぐことを実践している。
夢創塾も土遊野も、自分でできることは自分でするという自給自足をめざしている。あそあそ自然学校の大先輩である。
■ おわりに
あそあそ自然学校のことを書いてきたが、本格的な農業で里山再生をめざしている方やNPO事業として自然学校を運営している方からはお叱りを受けそうだ。幼稚すぎると。稚拙であることは百も承知であるが、浅生というところを見つめ再発見するためにも、あそあそ自然学校を継続していきたい。廃村になったムラも含めて、過疎のムラにはどこもリアリティがある。そのリアリティは環境教育の場としての潜在力と可能性を秘めていると思う。
【参考ホームページ】
あそあそ自然学校
http://www.exe.ne.jp/~npp/asoaso/
【プロフィール】
谷口新一
たにぐちしんいち
1965年生まれ。
富山県上市町浅生(あそう)出身。
東京大学経済学部卒業。
NPP(NonProfit Person=非営利個人)として富山のまちづくりに係わる。
【キーワード】
・ 富山県
・ 過疎
・ 自然学校
・ 農生活空間
・ 環境教育
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